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教師の素質とは (2014年)

 「教師」という広い意味で「人に何かを教える・伝える職業」を選ぶ人が肝に命じておくべきことは、山ほどある。そして教師に向いていないのではないかと思ってしまう人間を私は今まで山のように見てきた。

 教師に必要な「素質」は何だろうか。

 わたしは個人的に一番大切な要素は

「よいと思うことやモノを人に伝えたい衝動に駆られる」

そんな、押さえきれない、どうしようもない情熱を兼ね備えている事ではないかと思う。

 

 よいものを見つけても所謂「独り占め」をして、自己満足に終始してしまうような人。どうせこんなやつに情報やっても宝の持ち腐れになると、

相手を裁く人。自分もまだまだ教師としてはひよっこだ。しかし、わたしは、はっきり言える。そんな人は教師とは言い難い。教師に向かないし、教壇に立つべきではないように思う。

 

「今日、朝歩いていたら、道ばたに小さな紫色のお花が咲いていたのよ。

すごくきれいで、摘んで行こうと思ったけれど、私だけ見るのも

もったいない気がして、摘むのではなくて、詩をかくことにしたわ。」

 

 わたしの大好きな恩師、小学校のときの千草先生はこんなことをいう先生だった。今でも行き詰まったとき、私は彼女の教師としての背中を思い出して、元気づけられている。この先生が私の人生を変えたといっても過言ではないし、今、ここにこうやって私が生きているのは、先生がいなかったら、実現していない。私にとっての教師とは、愛にあふれ、人を愛し、生徒の弱さを愛する事ができる千草先生のような存在だ。

 

 

 大学のある学生が数年前に自殺をしたという。人伝に、卒業試験に数回落ちてしまい、どうにも先が見えなかった状況だった、と聞いた。わたしは思った。師たちは一体、何をしていたんだろう?

 

 勿論、これは教師たちだけの責任ではない。友人も、両親も、その学生に関わっていたすべての人間に、そして何よりも本人自身の大きな罪のように感じる。なぜ彼女の異変に気がついてやることができなかったのか、責める気にはなれない。けれども、試験に何度も落ちているその子に教師はどんな言葉をかけてきたのか、そして、その教師が私だったら、どうしていたのか ー 私はどうしても同じ教師の立場として、教師のあり方に疑問を抱いてしまった。

 

 「学生の事を生かすも殺すも教師次第」

そう思っていた。しかし、まさか教師が「学生の命」に関わるような重大な立場であるという事実には、その時まで気がつかなかった。聖書に「だれでも先生と呼ばれてはいけません。その人たちは人より幾倍にも厳しい罰をうけることになるからです」という言葉がある。心に響く。教師という立場として、肝に命じておかなければならないように思う。教師は学生を生かす事も出来れば、殺す事もできるのだから。

 

 先日ある教え子が嬉しい事をいってくれた。

「先生に出会って、教師になろうって決めました。」

彼女は私が教えてきたうちの半年、家庭の事情でひどい鬱状態だった。

授業を休む事も少しあった。

「苦しくて、つらくて、登録していたすべての授業をキャンセルしました。でも、先生の授業だけは出席していました。だって、出ると元気になれたんです。」

 

 涙が出る程、嬉しかった。

 

 学生を生かすも殺すも教師次第。

 

 恐ろしい職業だけど、

 素晴らしい職業。

 

わたしはこれからも、学生を愛し、楽しい事や嬉しい事や新しい発見を喜びをもって伝えられる、そんな教師になりたいと思った。

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