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「天皇不在の天皇教育—日本におけるナショナリズム(国家主義)と学校教育の歴史」

 学士論文(2009年)より抜粋(原文ドイツ語)

 はじめに

 日本では2000年から2005年にかけて計875人もの学校教員が国旗国歌法を守らなかったとして、処分または解雇された。これまで の教育基本法(1947年発布)で約束されていた表現の自由や個人の尊重などは、2006年には改正されるということが起きている。日本の学校教育は一体、どのような道を辿っているのだろうか。日本政府は、現在の学校教育を戦前の教育へと戻そうと苦戦しているのか。それとも、子供たちに新たな形のナショナリズム(国家主義)を教育しようと意図しているのか。

 

 教育というのは、学術的な観点を超えて重要な要素であり、私たちの人生に多大なる影響を与えている。教育とは人間の根本的な考え方だということができる。各国の文化の相違も、大人から「習う」という行為を通して、すでに幼少期で成り立つものであるといえる。このような意味で教育とは、大変に重要であるといえる。この小論文では、ナショナリズムが学校教育の現場でどのように教育されているのかを論じていく。

 

(以下、省略)

 

 まとめ

 

 超国家主義が強調されていた戦前は、「教育ニ関スル勅語」(以下、教育勅語)が学校教育の中心に置かれていた。戦後、確かに教育勅語は廃止となったが、その後に公布された教育基本法は「教育勅語の代用品」と考えられていたことが窺われる。「期待される人間像」でもわかるように、すでに1960年代には戦前の教育へ戻そうという動きが見られる。日本は1970年代に経済が繁栄し、それにともなう形で「日本人論」などが現れ始め、ナショナリズムは日本社会で息を吹き返した。景気後退の時期になると、学校教育が問題だと言われ始め、「廃退現象」だとして「アメリカ占領軍によって短期間で公布された」教育基本法もその批判の的となった。1990年代に入ると国歌国旗法が話題になり、国民の反対が強い中、政府は国歌国旗法を強行した。このような背景を経て、2006年には教育基本法が改正されたのである。

 日本の学校教育史を振り返ると、経済成長とともにナショナリズムが社会で好意的に受け入れられはじめ、それが学校の教育制度にも影響を与え続けてきたことが分かる。この現象は、「戦前のナショナリズム」を戦後も引き続き広めようとする日本の政治の傾向も示している。小論の設題である「第二次世界大戦後、教育勅語は廃止されたといえるのか」の答えは、戦後に勅語が法的にも禁止され、事実上廃止されたことから明瞭である。この小論で、学術的に戦前と戦後の教育法を比較することは非常に困難である事が分かった。戦前の学校教育の中心には「天皇崇拝」があり、戦後はそれが廃止されたというのがその理由である。しかし、日本政府が戦後もナショナリズムを強く推進し、教育基本法改正や国歌国旗法導入などを通して学校教育を推し進めてきたことを忘れてはならない。今のところ、教育勅語が学校教育に導入されるという風潮は見られない。しかし、1980年代後半には「J回帰運動」だけでなく、法の力を利用して戦前の学校教育に戻そうとする動きが見られる。

 

 戦後、日本の学校教育は変化を遂げてきている。戦前、中心に置かれていた教育勅語は戦後すぐに廃止されたものの、戦後日本の学校教育は この教育勅語から多大なる余波を受けたといえる。日本の学校教育史とナショナリズムの歴史を振り返るとき、戦前と変わらず、日本政府は現在も「日本人像」を定義し、作り出そうとしていることが見えてくる。今日、学校で天皇が崇拝されることはなくなった。しかし、国歌を歌い国旗を掲揚することは義務づけられている。教育勅語は廃止されたが、道徳の授業は引き続き名前を変えて存続しつづけている。勿論そこには、天皇は不在であるが、学校教育の中では刻々とその重要性が強調されてきている。天皇は政治的な効力を失ったが、権力の象徴として今も日本に存在し続けている。この小論の結果としていえることは、日本におけるナショナリズムが刻々と重要視されていき、戦前のように意味を持ったものとなっていくということである。もしかすると、日本の学校教育というのは、天皇不在の状態で、再び戦前の状態に戻るのではないだろうか。「天皇不在の天皇教育」というこの小論のタイトルのように。

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